INTERVIEW
“最適”を選び続けた先に・・・JETが望む社会とは?
「デザインとプログラミングで、最大限の価値を提供する。」そんなキャッチコピーのもと、2011年、岡山県に誕生したDIGITALJET(以下 JET)は、たった数名のメンバーが、フルリモートで自由に働きながら、さまざまな企業におけるデジタルの中枢を担っている会社です。
通常、「モノづくり」といえば、「納品」だと思われがち。でもJETはちがう。JETの仕事は「最適なモノをつくり続ける」ことなのです。
「最適」とはなにか?
「つくり続ける」とは?
今まで、「自分たちのことをまったく語ってこなかった」というメンバーにさまざまな質問を投げかけていくと、JETが持っている哲学のようなものが見つかりました。
さまざまな働き方が存在する現代。読んだ人にとって、生き方、考え方、なんらかのヒントになれば幸いです。
「違和感」をそのままにしない
大木:今回のテーマは「JETが望む社会とは?」です。インタビューを重ねていって、みなさんの思想ってすごく独特だと感じているのですが、これって社会へのアンチテーゼ的なものの現れですよね?常に「世の中、おかしいな」って感じながら生きている感じですか(笑)?
真崎:「世の中への違和感から始まっている」という部分は、確かにありますね。
僕は、社会人になったばかりの頃から、会社に対して違和感を感じていました。上司である人たちが幸せそうじゃなかったんですよね。仕事においての「辛さ」を部下に共有しようとするんです。「俺たちも辛い。だから大変だけどがんばろう」って。本来、目指すべき存在の上司が大変そうなのって、人生おもしろくないな~って。
大木:上司による「不幸自慢」ってありますよね。「俺は若いとき苦労したんだぞ。だから、おまえらも働け!」みたいな。私は、その状況に違和感を持たず、「私もがんばらなきゃ!」って必死にやってきました。みなさんは、感覚が麻痺しなかったんですか?
真崎:社会の常識に染まらないように(?)、意識的に鈍感にしていました。たとえば、白い目で見られるのを怖れず、金曜日は必ず18時に退社してました。「彼女を迎えに行くので帰ります!」って。
大木:上司からの圧力は、なかったんですか?
真崎:カッコいいこと言うと、上司は圧力をかけて僕に辞められるのが嫌だったんだと思います。それを感じていたので、堂々としていました。僕、社長室に出向いて「金髪にしたいんですけど、していいですか?」って言える人間だったんです(笑)。社長は、「会社としては、許すも許さんも言えんけど」って、やんわり許してくれてました。
大木:持ってますね~!エピソード!!!!
真崎:もちろん仕事としての成果は出してましたし、上司とも仲良くしていました。
大木:最初からそんな感じでいけるってすごいですね(笑)栩平さん、古里さんはどんな感じでしたか?
栩平:僕は、体育会系のノリが苦手なんですよ。「根性」とかね。6年間、野球部だったんですけどね。
大木:え!野球部といえば根性!よく続けられましたね?
栩平:アンコントローラブルな状況が、とにかく窮屈で。そこから逃げ続けて、今ここにいるって感じです。僕が最初に勤めていた会社は、大企業で給料はよかったんです。残業代はまるまる出るので、作業が無ければ昼間は漫画喫茶で待機して、土日や夜間は作業が入ることが多かったので働くという。でもある日、直属の上司が北海道に転勤になって。「この会社だと住むところをコントロールできないんだな。嫌だな~」と思って、辞めました。ワガママなんですよね。「アンコントローラブルなのが嫌だから、それなら会社をつくろう」と思って、自分で起業したんです。
大木:会社員って、会社からコントロールされますもんね。
栩平:自由でいたい。誰にもしばられたくない。そのためには「お金を稼ぐこと」も大事だと思っています。お金がないと制限があるじゃないですか。買いたいものも買えないし、やりたいこともできない。お金で幸せは買えないけど、お金で苦しみや制限はある程度緩和できるとは思っています。
大木:「稼ぐ=嫌なことしないといけない」って雰囲気ありますよね。
栩平:そういう風潮はありますよね。でも、僕はプログラミングが好きだから。日本にベーシックインカムが導入されて、働かなくていいってなったとしても、趣味でプログラミングしてるでしょうね。
「情報開示」と「自由」の関係
大木:古里さんはどうですか?
古里:僕、そんなにエピソードもってないです(笑)。でも、「楽しくないことはやりたくないなー」っていう気持ちはあります。僕の場合は、二人とはちょっと違うかもしれません。違和感を感じながらも、働き続けちゃうタイプなのかなと思います。
家庭の事情でUターンして入った会社は、深夜や休日も仕事をする必要があるような企業でした。毎日が修羅場。働いているときは楽しかったけれど、ある意味、感覚が麻痺しているようでした。同僚とは連帯感があって、すごく仲良かったですよ。ただ、そういう状況にいると全体が見れなくなるんですよね。どうして今こんなに忙しいのか?情報が開示されていないから、原因も分からない。解決方法を模索しようにも自分でコントロールできない、選択する自由がない。
大木:あ~~すごく分かります。私も麻痺していた時期がありました。ハイになるんですよね。
コマとして動かされているんだけど、そこに気づかず、ただ忙しいのが楽しいみたいな感覚。
古里:時間を拘束されているだけでやりがいや達成感が生まれてくるんですよね。ふと俯瞰して、外から自分を見てみると「なんか違う」って気がつく瞬間がありました。
大木:古里さんは、JETに引き抜かれた最新メンバーじゃないですか。JETの自由なところ、自分の能力も生かせそうで、楽しそうだから仲間入りしたんですか?
古里:もちろんその理由もありますが、情報がすべてオープンにされてるところもいいなと思ったんです。通常、自分が経営者じゃない限り、会社の情報はすべてオープンされないと思います。JETでは、僕は立場上、社員ですが、アクセスできる情報は経営者と同じなんです。
栩平:スタッフ同士、情報が開示されてないのは・・・個人の預貯金ぐらいかな?別にオープンにしてもいいけど(笑)
古里:分かりやすい話でいうと「経費」ですね。誰がいつ、何をどこで買ったか、オープンにしてます。社長が仕事中に、何を飲んでいるかも分かります(笑)。オープンになってるのって大事なことなんですよね。情報がオープンになってないと適切な選択ができません。
少しだけ悪く考えてしまうと、情報がすべてオープンでない会社は、もしかすると従業員に適切な判断をされたくない気持ちがあるのかもしれませんね。「選択をさせない」、「ミスリードさせる」という意図があるのかもしれません。
栩平:社内の情報って、にぎっている情報が多いほど権限が強くなるんですよね。そこで社員と取締役、社員と幹部で情報の境目をつくる。ヒエラルキーをつくるために、情報を制御している側面はあるんだと思います。全員が同じ情報を持っていたらヒエラルキー構造が保てなくなるんじゃないですかね。
大木:闇ですね~。
古里:確かに、公開する情報を絞ることは、社内の秩序を保つために会社運営として必要なことかもしれません。でも、僕たちの望む在り方ではないと思います。
「明確にしたい」プログラマーとしての性質
大木:私は会社員だった頃、「情報がオープンにされてないよね」って思ったことが一度もないのですが。そこに疑問を持ってること自体、すごいです。「社会の構造がこうだから、こうなってる」って冷静に見られている。みなさんは、「引きの意識で生きてる」って意識したことありますか?
古里:「引いて見てる」って意識はないです。ただ、不明瞭な点があれば明確にしないとモヤっとなっちゃうよね。
大木:なるほど。明確にしたいのは、エンジニアの質でもあるし、個人での質でもある感じですか?はっきりさせないと、仕事もできないですもんね。
古里:私の考えではありますが、すべての情報に対して、それが必要かどうかは、「知る側が判断すべき」って思っています。情報を出す側が、受け取る側が必要かどうかを判断しないでほしいなと思います。
「最適」を選び続けていくのみ
大木:今日のお話は、「違和感ベースで生きてきた」っていう話でしたけど、逆に「これが理想!こう在りたい!」っていうお話はありますか?ソニックガーデンさんと出会ったときには、それを感じられたんだと思うんですけど。「この在り方いいな」っていうの、あります??
栩平:ソニックガーデンは、共感する部分が多いですね。僕は、ソニックガーデンの論理社員で、正社員ではないんですが、社長がアクセスできる情報に僕もアクセスできるんですよ。
そして、ソニックガーデンもプログラマーの会社なので、人の評価はしない。僕らよりも先を進んでいるから、参考にするところは多々あります。
ソニックガーデンは、現状から制度をつくるんです。制度をつくってから、現状をつくるのではなく。例えば、「論理社員」という制度は、僕がソニックガーデンの仕事をするようになってからできた制度なんです。「社員にならない?」って声をかけていただいて、でも僕はJETの社員だったので「それは難しいです」って返事をしたんです。そこで「じゃあ論理社員はどう?」って言ってもらって、今のスタイルができました。
大木:真崎さんと古里さんは、「こう在りたい」っていう存在はいますか?
真崎:うーん・・すぐに思いつかないですね。「家ガチャ」、「親ガチャ」っていう言葉あるじゃないですか。僕は、まさにそれだったなと思っていて。「持っていない」家庭環境の元に育ったんです。「自分の人生として、よくなっていきたい」という気持ちはあったけど、何を見ても「理想の何か」ってピンと来なかったんです。なので今でも、近い未来を見たときに、「ああじゃない」、「こうじゃない」をひとつずつ選択していった感じです。でも、「これだ!」と思ったことは・・・実はないかも。
大木:うーん・・・深いですね。絶望的な立場にいたら、光って分からなくなってくるじゃないですか。前向きになれる何かが、あったんですか?
真崎:僕は、根っこがポジティブではなく。ディフェンシブだしネガティブなんです。「このままじゃいけない」が原動力。「このままだと、こうなってしまう」っていうところから、最善というよりはベターを常に選んでいく感じでしょうか。「せめて、ここまで」という選択をずっとし続けていたのかもしれない。今は・・・幸せすぎて、原動力が落ちてる気がしますね。
栩平:分かる~!!!僕、JETで働きはじめて10年なんですが、1社にここまで長く勤めたのは初めてなんです。今の課題は、「不満がないこと」ですね。
大木:満たされてるんですね~。
古里:僕も「こうなりたい」っていうものは、明確にはないんですよね。
「やってる仕事が役に立てたらいいな」「納品して終わりじゃなくて、ずっと続いていけたらいいな」とは思っているけれど。不満がないのがない問題は、僕も抱えているのかもしれない(笑)
もちろん、小さな問題はあるけれど、それも最適なものを決めていけばいいだけで。「こうやったらいいよね」をちゃんと話して、最適なものを決定し続けられれば良いなと思います。
大木:そこのプロセスは一緒なんですね。クライアントワークも、社内でのコミュニケーションも、シンプルに「最適を選んで行く」。ちなみに、自分ではなく、社会に対して「こうあってほしい」というものはありますか?
栩平:僕は、自分のまわりが笑顔だったらいいかな。みんな自分の好きな事を仕事に出来たらいいよねって思っています。今はプログラマーも人気職種になったんですけど、辛そうにプログラミングをしている人もいる。そういう人は本当にやりたい事ができる仕事に転職すれば本人も幸せになれるし、好きこそものの上手なれでスキルアップしていくと思うんですよね。お金のためだとは思うんだけど辛い気持ちでやった仕事は、サービスを受ける側も良い気分にはならないだろうし、誰も幸せにならないですよね。
真崎:僕は「搾取」が嫌いなんですよね。社会の中で、片方が不幸になるような仕組みは、滅べばいいのにって思ってます。それぞれ違う考えを持った人がいるからこそ、社会が生まれるわけで。その違いをお互いに活かせるようになればいいなと思っています。世の中に必要のない人なんて、いないんです。
古里:僕は、楽しく仕事をしている人に対して、哀れんだり妬んだりしないでほしいって思うかなぁ。人を妬むぐらいなら、自分で楽しくなるように工夫したらいい。僕は、学生時代、清掃業でバイトしてたんです。まわりから「汚い」とか言われたりするんだけど、やってる本人はめちゃくちゃ楽しいんですよ。社会に貢献し、楽しくお金稼いでいるなら、それでいいんだと思う。本人が自分で、「社会的に価値を出している」って思えるなら、それはひとつのかたちだから。
大木:JETのみなさんは、「社会に望む」と言うより、「自分たちはこう選ぶ」って感じですよね。
真崎:「社会変えよう」と思ったら、まずは政治家を目指すんじゃないですかね。でも今の思考だと、早々に「違う!」ってなりそうだけど(笑)
栩平:みんなが楽しく仕事していたら、勝手に社会って変わるよね。 社員が幸せを感じられない会社は淘汰されるし。まずは自分たちが、自分たちの選択をきちんとしていけば、それでいいんだと思います。
▼まとめ
JETメンバーのみなさんは、生い立ちも性格も全く違うはずなのに、望む方向がいつも一緒だと感じていました。今回のインタビューでは、その理由がわかった気がします。プログラマーの質でもある「明確にしたい」という気持ち。その奥底には、「自由でありたい」という気持ちがある。「こう在りたい」と上を上を目指していくというよりは、目の前にあることのなかから、常に“最適”を選びとっていく。その繰り返しで、JETのお仕事は常に洗練されていくし、社員がしあわせになっていく。そして、それは社会がよくなっていくことに繋がっていくのだなぁと感じました。
次回のインタビューテーマは「ピンチの乗り越え方」です。お楽しみに!
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取材・執筆: せいかつ編集室 大木春菜
愛媛県在住の「ファンづくり」に特化した編集者・ライター。ブランディングマガジン「せいかつクリエイト」主宰。
撮影: リリー フォト 徳丸 哲也
撮影場所: ゲストハウス三津庵(ミッタン)